作務衣(さむえ)は元々、禅宗の僧侶が務め、日々の雑事(作務)を行うときに着る衣の事です。
「作務衣」は本来、作務を行う時に着るもの全般をさし、僧侶が掃除や薪割り、畑仕事など寺院を維持するための労働を行う時に着用する作業着であるため、正式の坐禅や法要の時には着用する事はありませんでした。その形は、動きやすさを追求した究極の和服と言えるかもしれません。
現在のような形の作務衣があらわれた時期ははっきりしませんが、古くとも明治以前にさかのぼるものではなく、一説には昭和40年代に永平寺で用いられたものが最初であるとされています。原形は着物の上に着た上っ張りともんぺで、実際に当時のものは着物の袖を納めるために現在よりも上衣の袖が太い物でした。「長作務衣」と呼ばれる上衣の裾が長いものもあり、後に作務衣独自の無駄の無い洗練された形へと進化をしていきました。
当店の商品は、浅草の老舗の職人が手がけた一級品です。作務衣や甚平は安価な物が手に入る時代になりましたが、手に取っていただければその差は歴然です。職人の心意気が感じられるその風貌は、目には見えない相乗効果をもたらす事でしょう。是非、こだわりの品を、こだわる人に使っていただきたいです。
九谷焼のルーツには色々な説がありますが、明暦元年(西暦1655年)に加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりと言われています。
しかし、その後100年たらずで廃窯。この間に焼かれた物が、いわゆる ” 古九谷 ” と呼ばれている物です。
廃窯後、日本の陶器といえば伊万里焼が主でしたが、江戸後期になると、瀬戸で磁器産業が盛り上がり、加賀でも春日山焼や若杉焼が作られ始めました。
古九谷を生み出した大聖寺藩でも九谷焼再興の動きが強まり、大聖寺の豪商 ” 吉田屋伝右衛門 ” が文政六年(西暦1823年)、九谷村の古九谷窯跡の横に登窯を造り、焼き始めたのが九谷焼再興のルーツと言われています。
2011年現在、九谷焼は宮内庁の贈答品として扱われ、世界中の物が安価で手軽に手に入れる事ができるようになった現在でも、その価値が色褪せる事はありません。
FOODSNEXTでは、日本の、日本人にしか作る事のできない、世界に誇れる " made in japan " を取り扱って行きたいと考えています。
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